ミスタービーンの毒舌日記


戦略なき英語教育

投稿日時:2012/11/21 15:38


私はこの国の英語教育のあり方について、ずっと憂慮している。それはどのように教えるべきか、という方法論(それももちろん大切だが)、もっと根本的な問題がある。今、政治の世界でTPPの是非について選挙の争点にしようとしている党があるが、そもそも参加するか、しないかを論ずる前に、目指すべき国家像が全く語られていない。本来、目指すべき国のあり方、国益に合致するかどうかで政策は議論されるべきである。そしてプラスとマイナスを客観的に天秤にかけるのが正しい政策の決め方なのである。

英語教育も同じである。韓国のように「英語は国力だ!」というビジョンが日本にはあるだろうか。皆無だと思う。単なる大学受験に合格した生徒のほとんどが、入学後英語力を著しく退化させていく。社会人になって、その必要性に気づくのであるが、TOO LATEのケースも少なくない。だからサムスンなどの韓国企業に世界市場を食われてしまうである。ユニクロのように社内公用語を英語にする、という動きが少しでてきたが、まだまだマイノリティである。

ビジョンがないから、全てが中途半端で何となく進められていくのが現実。小学校の英語教育が一番端的な例である。小学校から始めたから、将来英語が運用できるようになるだろうか?そんな証拠は皆無である。その前に母語の力をつけるべきである。ゆとり教育世代で育った生徒さんを教えているが、なかなか進歩しない。理由は決定的国語力の欠如である。

英語は所詮、道具であり手段である。自分が伝えたいことを母語で表現できないで、なぜ外国語が話せるようになるだろうか。「国語力の低下を放置したまま、英語教育推進」はナンセンスであり、ここにも国の戦略がないことが見て取れる。

次の政権には英語教育のあるべき姿についてもきちんと語ってほしいものである。

 

 

 

 



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