ミスタービーンの毒舌日記


漂流する英語教育の未来

投稿日時:2013/03/26 09:56


自民党の教育再生実行本部(遠藤利明本部長)が国内全て大学の入学試験を受ける基準として、英語運用能力テストTOFEL(トーフル)」を活用する方針を固めた。月内にまとめる第1次報告に明記し、夏の参院選の政権公約に盛り込むそうだ。

全ての国公立大学と私立大学が対象となり、大学の学部ごとに点数基準を定め、クリアした者に受験を認めるという制度らしい。たとえば、東京大学文科一類(主に法学部に進学)の受験資格は「TOEFL○○○点以上を獲得した者」と定め、公表する。点数基準は各大学に自由に定めさせる。

これは、日本の英語教育史上、最大の愚策となるであろう。これは経済諮問委員会のメンバーである、アメリカかぶれの、社内公用語を英語にした某大手企業の社長の発案であることは疑いないであろう。それに、TOEICとTOFELの違いを分からない政治家の先生が乗っかかっているという構図としか思えない。



さて、どこが問題なのか。まず、TOEFLは大学受験の基準を図るにはあまりにも難しすぎる。そもそもTOEICと根本的に違い、米国留学を目指す生徒たちが受験するものなのであるから、留学する予定の無い生徒にまで受けさせるのは全くもってナンセンスである。

 

第二にこの類のテストを義務づけるとなると、TOFELを受けさせるための受験産業が喜ぶだけである。TOEICにおいても、点数だけが一人歩きして、900点あってもろくに英語が「話せない、書けない」生徒を何人も個人的に指導した経験がある。テストが手段ではなく、目的化してしまうので、点数が実際の英語力を測る尺度として意味をなさなくなるのである。(だから、私はTOEICに特化したコースは一切設けていません)。

 

大学受験生を指導していて、最近痛切に感じるのは日本語力の欠如です。よく、伝統的訳読式英語指導を非難する風潮が最近強いですが、訳を書かせてみると、日本語の貧しさ、おぞましさに仰天します。きっとまとまったレポートを日本語で論理的に書く機会がないからでしょう。皮肉なことですが、英語の訳を書く訓練は、日本語を見つめ直し、磨く良い機会となっています。英語を英語で考えるTOFELのような試験は理想とはいえ、日本語もろくに書けない一般高校生にまで求めるのは机上の空論です。

 

大学入試の英語問題は、各大学が作成すべきであり、TOFELを採用するとなれば、それこそ大学の自主性、独立性が失われてしまいます。そんな暴挙を許していいはずがないでしょう。

 

日本の英語教育は漂流しています。お先真っ暗です。英語教育の実情を無視して、支離滅裂な政策を掲げる政治家、そしてそれを問題意識なく、垂れ流すだけのマスコミ両方に「喝!」です。


 



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