ミスタービーンの毒舌日記


小学校の英語教育を斬る!

投稿日時:2012/12/09 12:10


 小学校の英語教育についての是非については、これまで様々な専門家が論じてきた。私は文科省の英語教育開発指定校で長年働いた経験があり、功罪両面を常に感じた。一番痛感したのは、単純に賛成、反対という二つのの立場で議論することはナンセンスであるということである。反対には大きく分けて二種類あると思う。一つは英語帝国主義に対する反発ならびに国語教育の軽視につながるとの観点から、考えそのものを受け入れられない立場。もう一つは考えそのものには賛同するが、その実現性、効果の面から異議を唱える立場である。
 私は反対であるが、立場は後者である。なぜなら、仮に政府にどんなに予算があったとしても、お金で解決できないハードルが沢山存在するからである。それについて現実的に冷静に論じてみたいと思う。
 第一の大きなハードルは、教員育成である。英語のように専門性の高い科目は専任教師が必要である。実際、私が関わっていた学校には専任教師がいました。現状は担任の教師が英語も受け持たなくてはいけない状況ですが、そもそも英語の発音記号もきちんと読めない教師が英語を指導する資格があるでしょうか。最初から間違った発音に慣れてしまうでは逆効果なのは自明です。かといって外国人講師を雇ったら解決するでしょうか。これも答えはNOです。なぜなら、彼らの大部分は「英語を話せる」というだけで雇われているからです。この発想はまさに大手英会話スクールと同じです。外国人の本物に英語に触れれば英語が上手になる、というのは幻想でしかありません。仮に英語専科の教師を雇うとなると、金沢市だけで50人となります。そんな簡単にプロの教師が50人集まるとは到底思えません。
 第二に指摘しなければならないことは、英語教育の位置づけです。なぜか、日本では英語=国際理解という図式がすぐに教育目的に浮かび上がってきます。英語を媒介することによって、副産物として国際理解が促進されるとしたら理想ですが、別に国際理解には英語は必要ありません。例えば、留学生で高度な日本語力を有している人が、小学校で自国について日本語で語ればすむ話ではないでしょうか。肝心の英語という言語を手段として教える方法論がおろそかになってしまいます。現実にそういう自体が全国各地で起こっています。
 NHKの特集番組である自治体が、小学校で英語を教えるネイティブを募集していたところ、数が足りなくて英語が話せる人なら国籍を問わないとした方針で講師を確保したケースがありました。テレビで教育委員会の方のインタビューを聞いていてあぜんとしました。「生徒はさまざまな国のことについて知ることができ、大変有意義であった。」まさにこういった言い訳が「国際理解」という文言を入れることによって成り立ってしまうのです。英語教育における成果?については何も語っていませんでした。国際理解はきちんとした英語教育ができない現状の言い訳に使われてしまい、明らかに英語教育を推進していく上で弊害です。
 最後に教師の問題とともにあるのは、小学校から中学校にかけての一貫したプログラムがないということです。これでは、小学校から始めた子がまた、ABCから中学で学びなおすという何とも非効率な状況に陥ってしまいます。せっかく小学校から英語を学んでも、きちんと体系的にフォニックスを導入しなければ、中学へ言って挫折することになります。実際、教科書が読めない中学生は数え切れないくらいいます。中学の現場の先生もどうしていいものか苦慮しています。
 小学校の英語教育には綿密なシュミレーションが必要です。でなければ貴重な時間の無駄です。戦略がないから、韓国にはこの分野で置いて行かれるのです。「英語は国力だ!」というくらいの発想をもって取り組まない限り、日本の英語教育は永遠に進歩しないでしょう。


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