ミスタービーンの毒舌日記


公英語教育が目指すべき目標

投稿日時:2013/02/12 09:34


  文科省は新学習指導要領で、高校の英語教育は「全て英語で行うことを基本とする」という方針を打ち出している。英語が使える日本人を求める経済界からの強い要請や圧力があるようにも思えるのだが、全て英語で授業することが英語力向上に果たしてつながるだろうか?私は、これは何の戦略のない「絵にかいた餅」でしかないように思えてならない。その理由について議論したいと思います。

  まず第一に、「英語を英語で授業できる教員」が日本全国に何%いるのだろうか。自分の英会話力に自信がなくて、英会話スクールに通っている先生もいるのが事実です。以前、英語教育の研究会に参加したことがありますが、会を全て英語で行うという方針にしただけで参加者は激減しました。ろくに英語が話せないのに、文法を英語で説明して授業ができる?まさにブラックジョークとしか言いようがありません。

  第二に教室規模の問題があります。海外の語学学校では一クラスの人数は最高で12名位です。30人から40人のクラスで、しかもレベル、モチベーションが様々な生徒がいる中で、英語だけの授業をすればどうなるでしょうか。苦手な子はますます参加できなくなり、英語が嫌いになるだけでしょう。つまり現在の3倍の数の有能な英語教員を雇う?ことが必要になるのです。不可能なことは自明です。市内で、「英語で英語の授業をする実験校」の某進学校の生徒さんを教えた経験がありますが、みんな分からなくて路頭に迷っていました。

  第三に学校英語教育の目指すべき到達目標は何か?という戦略の欠如があります。日本は毎日英語を使わなくても生活できるEFL(ENGLISH AS A FOREIGN LANGUAGE)環境であり、週に数回「英会話ごっこ」レベルのことをしても英語が話せるようにはなりません。日本で学校教育が目指すべき方向は、むしろきちんと「読み書き」ができるようにすることです。高校卒業時までに、「英字新聞が読めるようになる」「英語の原書が読めるようになる」ことの方が、いつ使うのか分からない英会話フレーズを教えるより、よっぽど有益です。なぜならインターネットの世界で私たちは生活しているのですから。

  最後に述べたいのは、基本的「読み書き」ができずして英語は話せるようには絶対なりません。最近はBE動詞と一般動詞の違いが分からない、三人称単数の概念が分かっていない生徒さんを沢山見かけます。まさに、ゆとり教育の中味のない「英会話ごっこ」をしてきた世代の惨憺たる現状です。受験英語=悪ではありません。英語力の本質をついた良い問題を出している大学も沢山あります。読み書きの力がある方ほど、英語を話すSPEAKING力も伸びる傾向にあります。

  学校英語教育は何を目指すべきか、財源・人的資源・教育環境などを考慮して、もっと現実的な政策を考えてほしいものです。「英語が話せる」人材を養成するのは当面は民間が担うべきでしょう。しかし、楽しいだけの「英会話ごっこ」を提供しているようでは、何の未来もありません。少なくとも私は「一生の財産となる語学力」をつけるために何をすべきか?を明確に提示しております。

 

 

 

  



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